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大阪桐蔭高校の主将・中村誠君が、中学生の時に書いた作文に心が揺さぶられます。
僕 には、絶対叶えなければならない夢があります。
僕には体に障害を持った友達がいます。
体の右半分はマヒしていて、右手はブラブラしていますが、右足は少し 動くので介助すると歩くことができます。
えん下障害もあるので食べ物は細かくきざんだ物にとろみをつけて介助でゆっくり食べれます。
水分は多く飲めないで お腹に開けた胃ろうからチューブを通して注入します。
それから失語症もあり全く声が出ません。
文字盤も使えないので自分の意志を伝えることはできないので す。
とても不便な生活を送っています。
そ の友達と知り合ったのは僕が小学五年生の頃、四年前です。
僕が野球の試合に出るようになり、対戦相手だった子と友達になった。
その子は同級生と思えないく らいに野球が上手だった。ポジションも一緒だった。
試合にも負けた。僕はとても悔しかった。「絶対に負けたくない」この気持ちを胸に僕は一生懸命練習し た。
小学生の最後の大会の決勝戦でそのライバルのいるチームと戦った。
延長戦で僕のチームが優勝することが出来た。
でも僕は勝ったとは思えなかった。
だか ら中学生になっても別のチームで戦っていくことを約束した。
しかしその友達といるチームとの試合があっても友達はいなかった。
友達は障害者になっていました。
障害者になって三年になります。
三年前のある日を境に突然障害者になってしまったのです。
原因は病気です。本当に急な出来事でした。
当時僕は大きなショックで友達を受け入れることができませんでした。
そ んな友達を見て、初め「かわいそう」だと思っていました。
でも一生懸命にリハビリに取り組んでいる友達の姿を見ていると、僕は「かわいそう」と思うのは良 くない事だと思うようになりました。
なぜかというと、人に対して「かわいそう」と思うことは、その人を見下しているように思ったからです。
こ のことは友達に対することだけではなく、全ての障害者に対して共通する気持ちです。
障害者になりたくてなった人は誰もいません。そして誰もが障害者になら ないという確率はゼロではないのです。
友達のように突然、病気になるかもしれないし、事故にあってけがをしたり、またどんな災害に出くわしてしまうかもし れません。
もし僕がそうなったとしたら、想像するだけでもつらいことですが、そんなとき僕は人から同情されたくないと思います。
人間はどのような障害を背負っていようとも、命ある限りは生きていかなければならないことはみんなに平等に与えられていることです。
ただ生 きていくための条件が良いか、少し悪いかという差だけのことだと思います。
だから僕は障害者を見て「かわいそう」と思うことが許せなくなりました。
僕 はお見舞いに行くと友達の車いすを押して出かけることがありますが、よく他人の視線を感じることがあります。
でも自分と人は違っていて当たり前なのだし、その他人を認めることは最も大切なことだと思います。
世の中のすべての人が自分と違う他人を受 け入れることこそ、差別のない社会の実現につながっていくように思います。
これは「23年度心の輪を広げる体験作文・障害者週間のポスター作品」の中学生部門で最優秀賞をとった作文です。
予選で鼻を骨折し一時は出場も危ぶまれたが、主将としてチームを優勝に導いた中村君。
これからもその夢を、決意を実現するためにも謙虚に誠実に頑張り続けていってほしいと応援をしています。